私は極度のストレスにより「双極性障害(躁うつ病)」を発症した。
現場監督は何かとストレスの多い仕事で、「もう辞めたい」「いっそのことぶっ倒れて入院でもしたほうが楽」などと思うときもあったが、責任感と努力だけを頼りに乗り越えてきた。
しかし、ストレスが限界を超えたとき、頭も体も動かなくなったのだ。
現役の現場監督、これから現場監督を目指す方に一言申し上げたい。
「現場監督の代わりはいるが、あなたの代わりはいない」
所詮サラリーマンは搾取構造の歯車
現場監督は責任の重たい仕事。しかし所詮サラリーマン。
あなたが壊れても代わりはいる。
搾取構造の歯車が壊れれれば「新しいものと交換」をすればいいだけのこと。
会社は壊れた歯車を修理しようなんて考えていない。
勝手に治って戻ってくればいいし、治らなかったら処分しても構わない。
昭和の高度経済成長を支えた「大量生産・大量消費」の恩恵を受けた世代が、平成の失われた30年と言われる時代を経て、令和の「持続可能な社会」に至っても、過去の栄光から抜け出せていない。
だから表面上では「人材=人財」と綺麗事を並べ立てても、使い捨ての意識は変わらないのだ。
現場監督の責任感は命取り「会社は見て見ぬふり」
現場監督をしていれば、過酷な状況を経験することがある。
経験談その1「過労は命を蝕む」
私は数ヶ月の間、ほとんど休みを取ることができない現場に従事していた。
責任感から「任された現場は自分で何とかしないといけない」という思いが強く、会社に応援を求めることもしなかった。
久しぶりの休日、疲れから何もやる気がおこらず横になっていたときのこと、会社の携帯が鳴り「大雨が降りそうだから現場で待機してくれ」と要請があった。
疲れた体を無理矢理起こし立ち上がったとき、視界が狭くなり意識を失ってその場に倒れたのである。
たぶん5分ぐらいだろうか。
徐々に意識を取り戻したが体が動かない、自分がどこでなにをしていたのかさえも思い出せない。
しばらく倒れたままの体勢で考えていた・・・「あ・・・現場にいかなくては・・・」
この頃にはすでに自分の命より現場の方が優先されていた。もはや思考停止した機械そのもの。
<何とか忙しい時期を乗り越えたとき、大地震が追い打ちをかけた>
ようやく普通に休めるようになったころ、突如、大地震が発生して復旧作業に追われた。
朝6時には家を出発し、帰りは深夜2時頃、実に20時間労働が休みなく1ヶ月以上も続いたのだ。
自宅も少なからず被災していたが、ほったらかしだ。
少ない睡眠時間も、余震がおきる度に目が覚める。地震がトラウマと言うよりも、この過酷な労働がトラウマとなっていた。
地震発生から1ヶ月が過ぎた頃、復旧作業も終わり普段の生活に戻った。
ある日曜日の夕方、咳き込んだら口の中に血の味が広がった。
人生初めての吐血だ。
咳も止まらない、血も止まらない。妻の車に乗せられ病院に向かう。
私は自分の命の心配よりも、これで解放される期待感の方が強かった。
経験談その2「理不尽な世界に耐えられない」
現場監督をしていれば、理不尽な出来事に出会うこともある。
私は何かをしたわけでもなく、現場で何か問題が発生した訳でもないが、地元の権力者の怒りに触れた。
訳がわからなかった。
何もしていないことへの対応に追われているうちに、この問題が自分の現場だけではなく周りの現場にも波及して、最終的には関連する全ての工事がストップさせられる事態に発展したのだ。
少しでも反論しようものなら会社に迷惑がかかる。
してもいないことの責任を感じて、頭を下げる。
私の精神状態は崩壊していった。
足は鉛のように重たくなり歩くのが辛い、パソコンのキーすら怖くて押せない。夜は寝ることさえできない状態に陥った。
病院に行くことを決意し、診察を受けた結果「双極性障害(躁うつ病)」と診断された。
医者から「診断書を出すから2ヶ月は自宅療養してください」と言われ、会社に休職することを報告、それから2週間ほど現場の引き継ぎをして休職に入った。
休職中、収入の保障があると思っていたが、実際には有給休暇を使い、足らない分は欠勤扱いだった。
欠勤分の約6割は社会保険の傷病手当金から支給された。
一生懸命に働き、ストレスを抱え込んで病気になっても、この程度の保障。
あなたの代わりはいない
私は双極性障害(躁うつ病)とうまく付き合っている。
現場監督という仕事も続けているが、昔みたいに一生懸命だとか努力とかは意識しない。
自分を犠牲にしても、他人は心配はしてくれるが助けてはくれない。
だから自分を助けられるのも、守れるのも自分しかいないし、自分の代わりなど存在しない。
いくら一生懸命さや努力を強要されても私は従わないし、そもそも努力などとは他人から言われるものではない。
「一生懸命しろ!もっと努力しろ!」という奴は、洗脳されているか、人を利用したいだけなのだ。
「やりがい搾取」という言葉があるように、やりがいと責任感を押し付け、都合よく働かせようとする。
しかし何かあっても助けてはくれない。
あなたが壊れても代わりはいる。
しかしあなたの人生において、あなたが壊れたら誰もあなたの人生を生きてはくれない。
あなたの代わりはいないのだから、自らが犠牲になることはない。
<現場監督が辛い方には、退職代行がおすすめ>