失敗が許されない社会「厳しいルールは責任転嫁の定石となる」

日本は失敗が許されない社会。

そのため、厳しいルールが設けられる。ルールから外れ新たなことに挑戦しようものならすぐに叩かれる。そして、失敗すると、責任の所在は「ルールを守らなかったあなたにある」とされる。

日本人は失敗を恐れるようになり、失敗が許されない社会へどんどん沈んでいくのである。

人びとは、他人の揚げ足を取ったり、欠点ばかりに目が向くようになる。失敗を恐れるあまりに保身に走り、責任を転嫁する方法を常に考え、それが厳しいルールとなる。

厳しいルールは、他人に責任を押し付けるために設けるものだと言える。

ゆえに私たちは挑戦を忘れた。

目次

ルールは、上から下に押し付けられるもの

ルールを作るのは誰か。

それは、ルールを守らされる私たちではない。「責任を取りたくない人」が作るものである。

要は、自分たちの責任を逃れるために、あれやこれやとルールを作りたがるのだ。

ルールに縛られると本質を見失う

本来、ルールとはもの事をスムーズかつ適正に行うために存在する。

ルールは万能ではなく、時には変則的な事象が発生して従来のルールでは対応できない場面も出てくる。

しかし、私たちはルールを破ると責任を追及される羽目になる。だから、ルールにそぐわない場面でもルールを守ることに専念する。

ルールを守ることが目的ではない。目的はルールの先にあるのだ。ルールばかりに気を取られると、もの事の本質を見失うことになる。

建前のルールは意味を持たない

次々に新しいルールが生まれるが、そのほとんどが建前のルールでしかない。

たとえば、2022年10月に仕事で自動車を運転する人に対しアルコールチェックが義務化される。運転管理者の目視チェックとアルコール検知器でチェックすると言うもの。

会社まで自動車を運転して通勤してきた従業員に対し、会社でアルコールチェックをしても意味がない。もう運転しているのだから。

このような「意味のないルール」は数多く存在する。

要は、「ルールをちゃんと守っています」「責任は個人にあります」という建前が欲しいだけなのだ。

ルールの裏には利権が絡んでいる

多くのルールには利権が絡んでいる。

かんたんに言えば、ルールを作ることによって儲かる仕組みができあがるのだ。

たとえば、わかりやすいところで資格と言うものがある。「この資格がないと、この仕事はできませんよ」と言うもの。一見すれば当然と思われるかもしれないが、資格の裏には政治家や役人、そのOBなどが結託し、一般人から搾取する仕組みがある。

資格がなくとも腕のいい人間はいくらでもいる。しかし、無資格で仕事をすると罰せられる。そのため仕方なく資格を取得するしかない。

厳しいルールの裏には「金儲け」が隠れているのだ。

挑戦を忘れたら堕落する

ある程度のルールが必要なことは私にも理解できる。しかし、行き過ぎたルールを設けるとルールを守ることだけに意識が集中し、思考停止に陥る。

あなたの周りにもやたらとルールに厳しい人がいるだろう。

よく観察してみてほしい。ルールに厳しい人は「机上の空論」「理想論」「きれいごと」が多いのではないだろうか。

完全にもの事の本質を見失っている証拠であり、責任逃ればかりを考えている証拠である。

もはやここに「挑戦」は生まれない。

現状維持は後退

世界は加速度的に流れている。日本や日本の企業、個人はどうだろうか。

私の肌感覚で言えば、現状維持を好んでいると思える。いや、変化を恐れていると言ってもいいだろう。

常に周りの様子を伺い、なんとなく前進しているつもりでいるが、時代の流れは想像以上に速い。これからの10年は、今までの10年とは比べものにはならないほど加速する。

現状維持を好んでいてはあっという間に時代遅れとなる。もはや後退と言っても過言ではない。日本の「失敗が許されない社会」では、もう太刀打ちできないのである。

厳しいルールを設け「だれの責任だ」と責任転嫁をしている間に、常識は変わっている。

もはや「失敗が許されない社会」「失敗をしない教育」が失敗なのだ。

減点方式の評価

失敗が許されない社会の象徴として、減点方式の評価システムがある。失敗をしなければ100点。それ以上の評価はなく、点数は減っていくだけである。

みんな100点満点をとることに必死だ。

私たちをやる気にさせるための評価システム、「いい点をとればいい学校に行ける」「評価が高ければボーナスアップだ」とコントロールされる。

中にはかんたんに100点をとれる人間もいるだろう。しかし、100点以上の評価がないため、それ以上の挑戦はしなくなる。

そもそも100点ってなに?そもそも評価ってなに?

社会は「評価を盾に」私たちをうまくコントロールしているつもりだが、評価の枠組みから抜け出せない人材、挑戦できない人材を作り上げただけにすぎないのである。

失敗の点をたくさん打つ

厳しいルールは視野を狭める。責任転嫁は挑戦を萎縮させる。そして、失敗の点を打てなくする。

世の中を成長させてきたのは「失敗」である。

失敗が終わりではない。ましてや失敗を理由に「失敗しないため」の厳しいルールを作ることではない。失敗の先にある更なる挑戦が成功へと導くのだ。だから、失敗の点はたくさん打ったほうがいい。

世界の偉人たちは、だれよりも失敗の点を多く打ってきた。なぜなら、失敗の先にしか成功はないと知っていたからだ。

そもそも失敗を失敗と受け止めていなかっただろう。失敗もひとつの成果だったに違いない。いきなりうまくいくことはないのだから。

日本人はあまりにも失敗を恐れている。この記事を偉そうに書いている私も失敗を恐れている。

だが、このマインドを変えていけば、確実にいい方向へと変化していくだろう。

失敗が許されない社会でなにもしなくても、私たちは失敗することはある。ならば、挑戦して失敗という成果を上げたほうが成功する確率も上がると思う。

日本全体が「責任転嫁」から抜け出し、失敗を恐れず挑戦していける社会になれば、希望がある国だと言える。

さあ!厳しいルールの時代は終わった!責任を誰かに負わす時代は終わった!私たちは挑戦すべきである。

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