「別れを覚悟するということ」受け入れれば、人は成長する、人は強くなる

「いつか終わりを迎えるからこそ、その時間は特別となる」

この言葉は、無名な私の名言である。私もたまにはいいことを言う。自分でも関心している。

今回この記事では、別れが人を成長させる、別れが人を強くするというお話をさせていただくが、恋愛の話ではないことを最初にお伝えしておく。

なぜなら40を過ぎたオッサンが恋愛の話をするなんてキモイからだ。とは言うものの、もちろん恋愛にも当てはまるので参考にしてほしい。

しかし、別れは人間関係に限ったことではない。

大事なペットとの別れ、愛着のある車との別れ、楽しかった時間との別れ、大好きな場所からの別れなど、さまざまな別れがある。

どの別れも心にぽっかりと穴があく。悲しくて寂しくてつらい。なに事にも意味や価値が感じられないような感覚になる。

だから人は別れに恐怖を感じ、別れを避けたいのである。

目次

別れを知る「すべては諸行無常」

世の中のすべての事象には別れがある。人、物、時間、とにかくすべてだ。

仏教用語に「諸行無常(しょぎょうむじょう)」という言葉がある。

この世の現実存在「森羅万象(しんらばんしょう)」はすべて、すがたも本質も常に流動変化するものであり、一瞬といえども存在は同一性を保持することができないことをいう。

ウィキペディアより

簡単に言えば、すべてのもの事はつねに流れ変化をし、消滅をくり返すということ。

だから出会いもあれば別れもある。

大好きな人と恋仲になれたとしても、お互いの心は変化する。大好きな車を手に入れても、車はどんどん劣化していく。楽しい旅行も終わりがくる。そして最後は自分自身ともお別れのときがくる。

どんなもの事も同じ形を保つことは不可能であり、永遠なんて存在しないのだ。

私は宗教家でも熱心な信者でもない。お経を聴くと眠たくもなる。しかし、約2500年も前にインドで生まれた仏教の教えは、見事に本質をついている。

別れが恐怖となる「執着」

もの事を失いたくない心、すなわち執着が別れを恐怖だと感じさせる。

実は「執着(しゅうちゃく)」も仏教用語である。仏教では(しゅうじゃく)と読む。

執着とは、もの事に固執し、とらわれること。主に悪い意味で用いられ、修行の障害になる心の働きとする。

ウィキペディアより

新しく手に入れることよりも失うことに恐怖を感じる。この作用を心理学では現状維持バイアスと呼ぶ。この作用は無意識(潜在意識)に働き、「失うこと=安定の損失」と認識してしまうのである。

だから人はもの事に執着をして、失うことを必要以上に恐れるのだ。

執着は依存となり、失うことへの恐怖心に変わる。そして恐怖心が弱さとなる。

執着の意味にあるように、もの事に固執し、もの事にとらわれると修行の障害となる。別れることへの恐怖心(心の弱さ)が腐れ縁となり、足元に重たくからみつく。

これでは強くもなれないし、成長の妨げとなるのは当然だ。

別れを覚悟するということ

失うことへの恐怖心が人の心を弱くする。腐れ縁が足元にからみ付けば成長の妨げとなる。

別れを覚悟するということは、失うことへの恐怖心がなくなり、自ら腐れ縁を断ち切ることができるということだ。

禅の教え「放下着(ほうげじゃく)」に学ぶ

「放下着」

漢字だけを見ると「パンツでも脱ぎ捨てるのか」と思うかもしれない。実際、私は思った。

放下着も仏教用語である。

放下着とは「いっさいの思い込みや執着を捨て去りなさい」という意味である。

禅(ぜん)の教えでは、人の苦を生み出すのは執着にあるとされている。別れが怖い、別れが辛いのも苦にあたる。

別れが怖い、辛いなどの苦も、さきほどお話したとおり執着から生まれるもの。

だが、いきなり放下着と言われても、すべての執着を捨て去ることはなかなか難しい。

だから、放下着を頭の片隅にでもおいて、最初は意識するだけでいい。

別れることへの恐怖心が湧いたら「放下着」を思い出す。

私は放下着の考え方に触れてから、いくぶん楽になった。執着を認識することで別れへの怖さや辛さが確実に和らいでいく。

別れは新たな出会いのスタートライン

別れは終わりではない。

出会いがあれば別れがある。その逆もしかり「別れがあれば出会いがある」ものだ。

別れは辛く悲しいものであるが、新たな出会いへのスタートラインになる。

別れを覚悟するということは、次の出会いに期待するということ。

だから恐れることはない。あなたはもう次の縁とつながっているのだから。

別れを覚悟しているから輝く時間となる

永遠なんてものは存在しない。いつか別れのときはくる。

別れがあるからこそ、私たちは大好きな人や物、時間を大切にするのだ。

多くの人は別れを本能として感じているだけかもしれない。だが、失うことを知ったらどうだろう。

たとえば、旦那さんがガンになり余命一年と宣告されたら、その後の一年は今までの一年とはまったく違ったものになるだろう。

奥さんも旦那さんも、お互いのこと、お互いの時間を大切にして過ごすはずだ。

別れを知ってからの時間はよりいっそう濃くて輝くものになる。輝く時間は、悲しみと同時に思い出となり、前を向ける勇気になるのだ。

別れが人を成長させる、別れが人を強くする

別れを覚悟し別れを受け入れることができれば、人は成長する、人は強くなる。

人は出会いと別れ、別れと出会いを繰り返してより良い方向へ歩いていく生き物である。

しかし、中には執着を捨てきれずに同じところに留まっている人を見かける。わかりやすい例えを言えば、男運の悪い人が典型的である。

別れをいくつも経験しているのに、寄ってくる男はろくでもないヤツばかり。

これは、その女性が自然とろくでもない男を引き寄せているにすぎない。過去の別れを受け入れることできないばかりに、 別れという成長のチャンスを執着によって台無しにしている、だから同じ臭いのろくでもない男をその女性が求めているだけなのだ。

別れが成長のヒントをくれる。別れによって成長のチャンスは与えられる。

このチャンスを生かすも殺すも、あなた次第なのだ。

別れは意味を持つ

どんな別れにも必ず意味がある。

環境の変化や価値観の違い、時間的なもの、金銭的なものなど、さまざまな要因で別れがくる。

別れの前には悲しさだったり虚しさだったりと「なにか違う」違和感がポツリポツリと湧いてくる。今まで楽しかったことがつまらなく感じる。周りと話が合わなくなる。そして物足りさを感じる。

温度差はどんどん広がり、そして別れにいたる。

成長する人には違和感が湧き、別れを経験する。別れることで次のステージに上がれる。

だから別れは、あなたが成長して岐路に立つタイミングであり、成長をうながす合図なのだ。

出会いは偶然だ。しかしどんな別れも次に上がるための成長という意味を持つ。

別れを経験したあなたは成長し、次のステージでまた偶然にも新しい出会いを果たすのだ。

別れを受け入れる強さ

別れを受け入れる人は強くなれる。

なぜなら、苦しさや悲しさを受け止め、自分の中で見つめることができる。そして、別れを消化して次の一歩を踏み出すエネルギーに変換できるからだ。

別れを受け入れるためには覚悟がいる。もの事に執着しないための精神的な自立が必要になる。

どんな時代でも覚悟を持った人間には迷いがない。自分の足でしっかりと立ち、もの事に支配させることなく自分の在り方を貫く。

これができる人間は強く、そして優しい。

私もまだまだ修業中ではあるが、強くて優しい人は多くの悲しみと苦しみを受け入れてきたと思う。

別れを受け入れてきた人は強くなれるのだ。

いつか終わりを迎えるからこそ、その時間は特別となる

「いつか終わりを迎えるからこそ、その時間は特別となる」

もう一回言うがこの言葉は、無名な私の名言である。自分でも関心している。

話は変わるが「夕日がキレイなのはなぜか」

10年以上も前に読んだマンガ『ホットマン』の中に「夕日はなんでキレイなの?」というセリフがあった。小さな女の子がお父さんに聞いたのだ。

お父さんがなんて返したのか忘れたが、いい言葉だったのは間違いない。

別れがあるからこそ輝ける。たぶんこんな感じ。

まあ、最後は自分との別れである。

生まれ変われるかどうかは分からないが、とりあえず今の時間を大切にしていこう。私たちには立ち止まってる暇なんてないのだから。

どんなもの事も同じ形を保つことは不可能であり、永遠なんて存在しない。だから、別れは当たり前にやってくる。 覚悟を持った人間には迷いがない。自分の足でしっかりと立ち、もの事に支配させることなく自分の在り方を貫く。 別れを知ってからの時間はよりいっそう濃くて輝くものになるのだ。

<悩みは消すことができる>仏教の教えは生きるための知恵

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