日本人はいつになったら不寛容社会という因果性のジレンマから抜け出すことができるのか

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正義感とキレイ事を振りかざし、執拗なまでに他人を攻撃する不寛容社会。

ちょっとの失敗や不手際でも許されない息苦しい日本は、いつになったらこの不寛容な社会から抜け出すことができるのか。

目次

弱い者がさらに弱い者を叩く構図

因果性のジレンマとは、簡単に言えば「鶏が先か、卵が先か」というもの。

私は、日本人の不寛容社会は、この因果性のジレンマに陥っていると強く感じる。

実は教師に多いモンスターペアレント

学校や教師に、自己中心的で理不尽な要求をする保護者のことをモンスターペアレントと呼ぶが、教師自体がモンスターペアレントになっているという話をよく耳にする。

教師は普段このようなモンスターペアレントに対して、相当な苦労を強いられているはずなのに、なぜその教師がモンスターペアレントになってしまうのであろうか。

それは、教師自身が保護者から受けた理不尽な要求を呑むうちに、「保護者は教師より強い存在」と認識してしまい、今度は保護者の立場で、自分の子どもが通う学校の教師に向かって理不尽な要求をするようになる。

また、保護者に対して強いストレスを感じており、いつかはやり返したいと思っている教師も多い。

このように、モンスターペアレントがさらなるモンスターペアレントを生み出す構図が出来上がるのである。

「お客様は神様です」のサービス理念がもたらした弊害

いつの頃からか「お客様は神様」と言われるようになり、これと同時にクレーマーが増殖してしまった。

「お客様は神様です」という言葉は本来、企業側のサービス理念から生まれたものだが、企業側の客に対する異常なまでの低姿勢が、いつのまにか「お客様は神様だ」と客を勘違いさせてしまった結果であろう。

現在では「お客様は神様だ」の理念はサービス業だけに留まらず、様々な業界へ弊害をもたらしている。

先ほどのモンスターペアレントと同じように、強い立場の人間が弱い立場の人間を叩く、叩かれた弱い立場の人間はさらに弱い立場の人間を叩くようになり、クレーマーは永遠に増殖し続けるのである。

情報社会で生まれた理想と現実のギャップ

インターネットが急速に普及した現代、テレビや新聞といった統制のとれたメディアだけが情報源だった昔とは違い、欲しい情報はなんでも手に入る時代になった。

この情報社会で格差を思い知らされた大多数の人間たちは、自分の持つ理想と世間の現実のギャップに苦しんでいるのではなかろうか。

変わりたくても変われない人間は、他人の足を引っ張ることで安心感を得ようとする。

羨ましさと嫉妬で、出る杭は打たれる

日本人は戦後から、同質性、均一性を重んじる教育を受け、狭いコミュニティで生きてきた。

自分の所属するコミュニティこそが正義であり、優れていると考え、自分と違う人間は許容されない「自分は正しい症候群」を発症してしまうのである。

「自分は正しい症候群」を発症している人間は、情報社会が進んでも、他人の意見、行動を受け入れることができないために攻撃的になる。

昨今の自粛警察という身勝手な正義感がいい例である。

コロナ禍で世間の人々は生活に不安を抱え、我慢を強いられているのに、SNSなどで旅行や外食を楽しんでいる人を「不謹慎だ」と叩くのは、実は羨ましさと嫉妬からくる歪んだ正義感なのだ。

不寛容な人間は、他人が自分と同じ輪の中にいれば安心するし、抜け出そうとすれば叩いて連れ戻そうとする。

情報社会が進み、自分とは違う生き方の人間を目の当たりにしたことで、今までの自分の価値観を揺るがす存在が恐怖なのであろう。

理想論は快楽を得るための麻薬

理想論は発する者を気持ちよくしてくれる。

なぜなら、理想論は耳障りが良く、万人受けする言葉であり、反論する者がいない。

自分に自信がなくても、誇れるものが何もなくても、強い承認欲求を満たしてくれるからである。

理想論により、承認欲求が満たされると快楽となり、自分とは関係ない事柄についても、快楽を得るために他人の揚げ足をとるようになったり、他人の言動が自分の想う理想から外れていると寛容できなくなり、攻撃対象として認識するようになる。

理想論は麻薬と同じく常習性の高いもので、抜け出すことは困難である。

不寛容は連鎖して自分のも元に返ってくる

不寛容社会の構図はシンプルである。

「他人を許せないのは自分が許されてないから」

因果性のジレンマ「鶏が先か、卵が先か」と同じように、情報社会で生まれたギャップが、人々に攻撃性を持たせることで負の連鎖が始まる。

自分は許されなかった、だから他人も許すことはできない。

これは逆もあり得る。

他人を許すことができなかった、だから自分も許されなかった。

モンスターペアレントにしてもクレーマーにしても、最初から不寛容だったわけではない。

過去にクレーマーからひどい目にあわされた人間が、クレーマーになってしまったケースもあるだろう。

しかし、また自分の元に返ってくることは確かだ。

不寛容社会の構図はものすごくシンプルだが、因果性のジレンマから抜け出すことは容易ではない。

不寛容社会から抜け出すためには、自分のところで断ち切るしかないが、自分ひとりでは負の連鎖を止めることができないのはお分かりだろう。

他人を変えることはできないし、自分ひとりだけでは、どうすることもできないからである。

だがこれだけは覚えておいてほしい。

「他人の言葉や行動に目くじらを立てても、あなたに何一つメリットはなく、時間の無駄である」ということを。

<謎のルール、もう守るのはヤメにしませんか>

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